看護師大学生日記

日記です。何でもいいから書いてみます。

夏休み序盤

夏休みももう少しで前半戦が終わろうとしている。

 

学生生活の夏休みは色々とできる事が多い。

大人になってからは、時間が中々作れないし気力がなくなる。

 

自分も、いつからか子供の頃の様なワクワクを久しく味わっていない。

ワクワクする事に打ち込める事は非常に幸せなことだ。

 

一般的に働き出すと、業務に追われて精神的、身体的に疲弊する。

自分の場合も精神、身体両方に大きな負担がかかっていた。そんなときは、とにかく寝ていた。あとは、筋トレ。それくらいしか趣味がなかった。

 

他には、どこの学校に進学しようかなどの情報収集を行っていた。この情報収集は現在も行っているので、もはや趣味と言えるのかもしれない。

ただ、人生の中で死ぬまで続けることのできる趣味が出来たら面白そうだなと考えている。

看護と研究

病棟勤務看護師が行っていることの中に、看護研究なる物がある。

 

なぜ、「研究」の文字の前にわざわざ「看護」をつけるのかは謎である。病院や施設によっても研究の実施などは様々変わって来るとは思うが、そもそも看護師には研究などを行って看護学の発展に寄与しなくてはならない、といった様な事が看護職の倫理綱領に書かれている。

 

看護職の倫理綱領 日本看護協会

https://www.n urse.or.jp/home/publication/pdf/rinri/code_of_ethics.pdf

(2021年8月22日閲覧)

 

多くの総合病院などで看護師を続けてゆく場合には、看護研究を行う機会があると思う。そして、多くの場合看護研究は上から「あなた看護研究やってね」といった感じで半ば強制的に行うことも多い。

 

これが、研究嫌いの看護師を量産している一つの原因であると考える。

また、研究を行う時間は通常勤務時間外で行う場合が殆どであり、多くの場合残業代などは出ない。研究を行う場合には、完全に時間外で無給状態で研究を行う必要がある。

 

自分も、総合病院勤務時代に諸先輩方が、時間外で毎年持ち回りの看護研究のテーマや諸々を考えていた様子を見てきた。

 

臨床を行いながら、看護研究を行うには中々厳しい戦いが待っている。そもそも、自分がいた病院の看護師の諸先輩方に修士や博士課程を修了した方はいなかった。

その様な中で、看護研究を行っていた。

 

決して、「学位を持っていないから良い研究が出来ない。」といった事を言いたい訳では無い。しかし、研究を行う上で研究の作法をしっかりと学んでいない状態で行う研究は、効率が良くないと感じる。

 

看護研究には色々と思うところがある。いろいろと、書きたい事があるがしっかりとまとめて書いていきたい。

 

 

 

夏休み②

夏休み突入から、1週間が終わった。

 

実は、1学期に落としかけていた実習の科目を夏休みの1週目でレポートを提出して、何とか合格したのだ。

単位を落とさなかったことが、非常に嬉しい。入学当初に計画していた、卒業までの学習計画が早速崩れるところであった。

 

しかし、1学期は土日は8時間フルでバイトに入っていた為、日々の授業の復習の時間を作ることが中々できていなかった。

土日どちらもバイトで潰れるのは、自分の精神的にもしんどいことがわかった。

 

よって、2学期からは土曜日はフルで仕事をし、日曜日は半日は休みにしようと思う。その代わりに授業がない平日の午前中とかは、バイトする。

自分の場合、午後からの授業の場合は午前中はギリギリまで眠ってしまうので、そんな無駄な時間を過ごすのであればバイトをしてお金を稼いだ方がよっぽどマシだ。

 

10月から授業が始まる。2学期は専門科目が多くなる、そして、対面での試験が増える!本当に勉強しなければ落単してしまう。

バイトで足りない分は貯金を取り崩していこう。あってよかった我が貯金 

「頭がいい」とは

バイト先とある事で「頭いいね!」と褒めてもらった。

 

頭の良さには、種類があると思うが、一体どの種類の部分の頭の良さを褒めて頂いたのか…

ちょっと気になる。

 

自分は小中高と公立の学校なのだが、その中で知能的な側面での「頭がいい」と周囲から言われていた人間は、早慶旧帝大へ進学している。

高校になるとある程度自分と同じ学力の人間が集まるので、高校になってから明らかに能力がある!と感じた人間はいなかったと記憶している。

 

公立中学にいる人間が将来選ぶ選択肢は、多様性に富んでいる。

自分の年齢だと、ようやく大学卒業して就職して働いている…と言ったところなので将来同窓会か何かで会う時にみんなが、どの様な人生を送ってきたのか、興味が湧いてくる。

かく言う自分も、24から大学学部に入り直しているから、公立中学の多様性に一役買っている事になる。

 

脱線したが、自分はどんな種類の「頭がいい」人間になりたいのだろうか…中学時代の「頭がいい」と感じた人間たちの様には慣れそうにも無い。

そもそも、自分は「頭がいい」人間になりたいと思っているのか?それとも、そう言う風に思われたい?何だかこの様な話をしているのも、ズレている気がする。

不毛な話であった。

iPadのMagic Keyboard

最近Magic Keyboardの接触が悪いのかなかなかキーボードとして認識してくれない時がある。

保証期間はとっくに過ぎているので、買い換えるか金を払い修理するかのどちらかである。

 

とは言っても、iPadで使っているのはキーボードではなく、Apple Pencilの方であるからあえて新しいものを買ったり修理したりしたりする必要を見出せない。

 

高級なiPadスタンドになるしかないのかな…

 

iPadの使い道として、学校の講義で配られるPDFファイルにApple Pencilで書き込みを行うといった用途が主だ。

 

昨今のコロナでオンライン授業が主になっためiPadがよく活躍する。

 

むしろコロナまえはどんな感じで授業資料をもらっていたのだろうか。印刷された紙をもらっていたのかな?

今後、コロナが終息してもこの形式にしてもらえると非常にありがたい。書類の管理が非常に楽ちんだし、iPadがあればいつでもどの書類にでもアクセスできるのが本当に便利。

 

こんな感じで半強制的に何かを変えざるを得ない場合にしか、物事は大きく変わらないのは少し残念だが、少しでも良い方向、楽な方向に良くなっていってほしい。